#80 海外挑戦は逃げか
海外でプロサッカー選手を目指すと言った際に言われることとして、海外挑戦は逃げじゃないかと言われることがある。
というのも、プロサッカー選手になりたいなら日本で頑張ればいいじゃないかとうのが一般的な考えであるようで、僕のようにいきなり海外に出てプロになるという考えが逃避していると思われている。
今日は、「海外挑戦は逃げか」をテーマに話していこうと思う。
そもそも海外挑戦は楽な道ではない
そもそも、海外挑戦は過酷なリスクのある道だと思う。
知らない土地で、1人単身で異国に行くことになるわけだから、その地点でどう考えても楽ではない。
海外で生活していくことを考えれば、慣れない環境、文化、言葉、その他もろもろ、日本にいるより不便で、ストレスの溜まる生活が待っていると思う。
サッカーに関して、確かに今の僕のレベルで日本のJリーグに挑戦することは可能性がかなり低く、海外でなら可能性があるかもしれないという考えがある。
日本で可能性がないから、海外に行くことが逃げだということかもしれない。
しかし、可能性が高い方に挑戦することは当然のことで、少しでもチャンスがあるなら挑戦するのに迷う必要はない。
日本でキャリアを積め
だったらまずは、日本でキャリアを積んでから、海外に出ればいいじゃないか。
そう言われることもある。
この話をここでするべきかはわからないけど、何にでも共通することだと思うから話すと、
僕は20歳の時に、アフリカで一番高い山、キリマンジャロ登頂に成功した。
その時の僕は、山に登ったことは高尾山くらいしかなくて、周りから無理だと反対された。
親からは、せめて富士山に登ってから挑戦しなさいと言われた。
そんな僕は、周りの意見を全部無視してアルバイトでお金を貯め、アフリカに行き、キリマンジャロを制した。
この経験から、上り詰めたい場所への準備の時間は必要ないなと思った。
つまり、キャリアは大切だけど、登りたい山がすでに決まっているなら登りに行けばいいということ。
なりたい自分の姿がある
なぜ海外に行くのか、可能性の話もしたが、そのほかにもいろんな理由がある。
前にもブログで書いたが、自分の中でなりたい姿がある。
- 大観衆の中でプレーする
- 人々に夢を与えられる選手になる
- 多言語使用者
「大観衆の中でプレーする」というのは、日本にいても出来そうなことではあるが、その他2つは海外に出ないとできないと思っている。
人々に夢を与えられるようにYouTube、ブログをやっているし、その姿を見てもらいたい。
言語習得はやっぱりそこに生活しなければ、勉強する気も使うこともない。
言語が堪能な人はかっこいいなと思うし、それだけで見える世界が違う。
つまり、サッカー選手であり、影響を与えられる人であり、多言語使用者であることが、僕のなりたい姿だ。
好きなこと=楽な道?
好きなことしたいから。
こう言ううと、すごく反感を買う。
好きなことだけをしている人は、楽そうだし甘えていると思われるのが一般的だ。
だけれど、僕から言わせてみれば、好きなことから目を背けて、現状維持をしている人の方が逃げで、楽な道を選んでいると思う。
だって、それの方が失敗するリスクも笑われることも傷つくこともないから。
僕はこれから、好きなことをするというのが、どれほど大変か僕は思い知らされることになるだろう。
上手くいかなければ、あんだけデカい口叩いてたのにダメなのかよと笑われ傷つくことがあるだろう。
それでも僕が選んだ道だから、自分の道を信じて進むしかない。
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