#18 失ってから気付く
長い期間人に会わないと、あいつ元気かな、と思うことがある。
特に大学の人には、会いたいとか、話したいという感情がわく。
そもそも僕は大学が嫌いだった。
つまらない授業と数少ない友達と顔見知り程度の関係の人に囲まれてなんとなく過ごしてきた。
だから新学期なんて始まらなくてもいいと思っていた。
しかし、実際こうして大学が始まらないとなると、あの頃ような日常を送りたいと思ったりする。
僕はずっと当たり前の日々を当たり前に過ごしてきた。
日常に特別な感情を抱くことなく、時には普通過ぎる日常に不満を持ちながら過ごした。
気持ちが乗らないときは授業をさぼったり、人が話しかけてきても適当に流したりした。
次会ったときにしっかり話そうと思い気が付かないふりをしたこともあった。
コロナの影響で人に会えなくなったり、大学生活が送れなくなったりと自分の当たり前だった日常が失われて気付くことは、明日は必ず来るとは限らないんだということ。
友達に「また明日!」といって一生会わないこともあるし、明日やろうといって今日死ぬかもしれない。
瀬戸内寂聴という人がこんなことを言っていた。
私たちは「当たり前」に慣れすぎています。世の中一寸先は何が起こるかわからないという覚悟を持ち、いつも「有り難い」と意識して感謝しましょう。
今、この状況になって初めて理解できた言葉である。
当たり前に慣れすぎて、日々の感謝などあるわけがなかった。
明日何が起きてもいいという覚悟もなかったから今になって焦る。
だからコロナが収束して普通の日々を取り戻すことができたら、もっと日常を大切にしようと思う。
そんな当然のことに気が付いた朝だった。